高齢者の悩み解消する情報ブログ

現在の世の中の高齢者の皆さんの悩み、いろいろあるとおもいます、私も62歳の高齢者ですが、いろいろな悩みを共有するとともに、そのちょっとした解決策をともに考えていきたいと思っています。

老後の資金・・・

老後の資金は、十分にあるだろうか。今の世の中にそういうことを「十分ありますよ」と言い切れる高齢者は、はたしているのであろうか。あまりというよりほとんどいないんだろう・・と思う。自分がそうなので、他人もということが言えないかもしれないけれど。しかし、わたしは、今真剣にその問題と取り組んでいる。まず、色々なところからの情報を得ることである。幸せなことに、私はパソコンのネットが十分配備されているので、その情報というものに困ったことはない。その情報をどのように使い切るか・どのように整理していくかが問題である。少なからずの貯金は、あるとして、そんなものに頼ってはいられない。そしたら、どうするのかを考えて行かないと、老後資金という問題は、解決の緒は、見つかってこない。国は、「一億総雇用」という考えを打ち出しているようで、元気なうちは、年に関係なく働くということを謳っている。私は、その考えには、ほぼ賛成の意見であるけれども、自分の体がいつまで動いてくれるか・・・それが皆無であり、多少の不安がある中で、の老後資金である。どんどん先々のことを考えていくと、体を動かして働くことができなくなったときの、老後資金についても考えておくことが必要になってくる。それも、今私は、考え中である。

街に揺らめく缶カン集め・・・

日頃、よく自転車にいっぱい積んだ缶カン集めの高齢者の人をよく見かけている。どんな生活をしているのだろうと・・・少しは思ったりしているけれど、あんな人は、どういう生活をシているのであろうか、どこに住んでいるのであろうか、どんなものを食べているのであろうか、私が心配することではないが、少し気になったりする。生活の足しにするためにああいうことをシているのであろうか、昔、公園にバラックを立ててそこに住むひとが、多少はいた記憶があるけれど、今はどうなんであろうか。人間というものは、最低限度の生活をする権利がある。これは、憲法の基本的人権で決まっているはず。

アルミ缶というものは、1個1.5円になるんだね。始めて知った。大分集めないとたいしたお金には、ならない。お金を得る手段がない人にとって、これは、最低の手段何であろう。人がすてたものをお金にする・・・。その人にとっては、生きるための必死の手段である。生きるため、生き延びていくため、の必死の手段。こんな人に学ぶことがありはしないか。どんなことをしても生きていくという精神。どんなことをしても生きていくことができるという目覚め。これは、少し学ぶべきところがあると思っている。

今から、どれだけ生きられるのかな・・

今から、どれだけ生きられるのかな・・と考えた場合、自分にとってはそれほどの不安は、ないというのが、今の気持ちであろう。なぜって、考え方の問題になってくると思っています。今をどれだけ精一杯に生きているか、自分にとって目標を決め、どれだけそれに取り組んでいるかが、問題になってくると思っています。そういうものがないと不安が増してきて、どうしようもなくなると思っています。毎日を精一杯に生きていくことこそ人生につながっていくことと思っています。そう思わないと不安になってくるのじゃないかな。でも、常にそう思っているわけじゃなく、人間ですから色々あって、気持ちが折れるときももちろんあります。いろんな浮き沈みがあって、人生は、進んでいくのですから、悪いときがあれば、良いときもある、きっとそういうものが誰でもある。自分だけではなく、人間ならば、そういう運命なんです。そいう運命に逆らっては、行けないのです。川を流れる水のように、どこかで淀むときもあるわけです。それが、人生なんです。だから、どれだけいきられるかということを考えるのは、それは、一生懸命に一日一日を生きていくことこそが、いいのです。目標を持って・・・。